2017 07 ≪  08月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017 09
スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
仏像の誕生と伝播
2011/03/30(Wed)
仏教徒がその信仰に基づいて造形活動を始めたのは、釈迦の遺骨を祀ったストゥーパ(仏塔)の造立ですが、仏像の製作はすぐになされたわけではありません。

釈迦が初めて具体的な姿で、すなわち仏像として登場するのは1世紀中ごろのガンダーラ地方です。
インドから北に向かった仏教文化とヘレニズム文化が融合し、ギリシャ・ローマの造形技法の影響を受けて、初めて人間的な姿の仏像が誕生したのです。


その後、2世紀には、マトゥラーでも仏像が作られ始め、ガンダーラ仏の西方色の強い様式に比して、純インド的な表現が行われました。
さらにマトゥラー仏は、5世紀にサールナートを中心として、均整のとれた美しい体躯と薄く等間隔に刻まれた衣のひだの表現を持ったインド仏像彫刻の完成形とも言うべき仏像様式に展開しました。


インドからの仏像の伝播は、南インドを経てスリランカ、さらには東南アジア諸国へと至る海上ルートと、インドから北へと伝わり、シルクロードを経由して東に伝わるルートとが大きな流れですが、さらに時代を経て、7世紀、後期密教の頃にはチベットにも伝えられました。


我が国へは、インドからシルクロードを経由するルートにより、中国・朝鮮半島を経て伝わりました。中国に仏教が伝わったのは、、2世紀ごろのことで、北魏の時代には大規模な仏寺や石窟寺院が造営され、唐の時代には仏像の表現に人体の理想美が追求・反映されました。
スポンサーサイト
この記事のURL | 仏像の歴史 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ガンダーラ仏・マトゥーラ仏
2009/08/05(Wed)
仏教の歴史に崇拝の対象として仏像が登場するのは紀元前後から2世紀にかけてで、インド北西部のガンダーラ地方とインド北部のマトゥーラ地方の二か所で始まっています。

最初の仏像が造られたガンダーラはインド北西部で、現在はパキスタン領になっています。かつての都プルシャプラは現在のペシャワールという都市にあたります。
古くからシルクロードの要衝として発展し、東西文化の十字路として栄えました。

アレクサンダー大王の西インド遠征(紀元前324年)以降、ガンダーラ地方はギリシア、ローマ文化の影響を強く受けていたため、一般に「ガンダーラ仏」と言われるここで造られた最初の仏像も、ギリシア彫刻のような雰囲気を持っています。

長く大きな耳朶や、白毫、肉髻など仏像の特徴のいくつかは備えているものの、縮れた長い髪やひげを蓄えたギリシア的な顔立ちなど、今の我々が思い浮かべる仏像のイメージとはかけ離れたものです。

仏像が誕生したころには中央アジアの遊牧民族であるクシャーナ族が侵入してクシャーナ王朝を築きましたが、この王朝の第三世のカニシュカ王が全インドを統一して一大王国を築きました。
ガンダーラの仏教美術はクシャーナ王朝で発展し、とくにカニシュカ王のときに黄金期を迎えました。



ガンダーラで最初の仏像が誕生してから約100年後、マトゥーラでも仏像が造られました。
マトゥーラはインド北部の古国でインド古来の民間信仰などさまざまな宗教が栄えていました。

2世紀の後半カニシュカ王の出現によってクシャーナ王朝の領地となり、仏教美術の黄金期を迎えました。

マトゥーラは良い石材を産出することから地場産業的に彫刻が盛んだった地方で、仏像作りの始まりはガンダーラより少し後になるものの、芸術面でガンダーラの影響はほとんど受けずに独自の様式をもっています。
「マトゥーラ仏」の方が東洋的で、今の仏像のイメージに近いかもしれません。

ガンダーラ仏3
ガンダーラ仏

マトゥーラ仏2
マトゥーラ仏

にほんブログ村 宗教美術
FC2 Blog Ranking
人気ブログランキング


国宝阿修羅など名作も豊富【仏像ワールド】
この記事のURL | 仏像の歴史 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
ストゥーパ(仏舎利塔)
2009/08/04(Tue)
仏像は今から約2500年前に活躍した釈迦の姿をモデルに造られたものです。
しかし、釈迦が入滅してから500年ほどの間は仏像が造られることはありませんでした。

当時のインドではあまりにも偉大な存在だった釈迦を我々と同じ人間の姿に表すことは畏れ多いと考えられていたからです。このような考え方を偶像否定といい、世界の多くの宗教でも見られます。

キリスト教では、イエス・キリストや聖母マリアの像は造られますが、全知全能の神の姿(ヤハウェ)は造られることがありません。また、イスラム教は厳格な偶像否定で、絶対神であるアラーの姿を造ることは厳しく禁じています。


このような偶像否定の中で、初期の仏教徒は釈迦の遺骨(仏舎利)を納める仏塔(ストゥーパ)を礼拝の対象として信仰を保っていました。

ストゥーパは墓地に立てる卒塔婆の語源ですが、石塔自体も同じ語源でお寺にある五重塔などもこれに由来しています。シャリ(舎利)を納めた塔なので仏舎利塔とも呼ばれています。

たくさんの人が礼拝に訪れるようになると、塔そのものもだんだんと立派なものが造られ、塔の周囲の門や壁に釈迦の生涯にちなんだ様々な彫刻が施されるようななっていきました。

釈迦の誕生にちなむ蓮の華、悟りを開いたときの菩提樹、釈迦の説法を象徴する法輪、説法をした時の台座、仏陀の足跡を表す仏足石など。

塔を中心に多くの礼拝の対象ができたわけですが、いかに色々な彫刻が造られようと、釈迦の入滅後500年ぐらいの間は、釈迦その人をかたどった像は一例も造られませんでした。

ストゥーパー
ストゥーパ

仏足石
仏足石

にほんブログ村 宗教美術
FC2 Blog Ranking
人気ブログランキング


国宝阿修羅など名作も豊富【仏像ワールド】
この記事のURL | 仏像の歴史 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。