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仏像の誕生と伝播
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2011/03/30(Wed)
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仏教徒がその信仰に基づいて造形活動を始めたのは、釈迦の遺骨を祀ったストゥーパ(仏塔)の造立ですが、仏像の製作はすぐになされたわけではありません。
釈迦が初めて具体的な姿で、すなわち仏像として登場するのは1世紀中ごろのガンダーラ地方です。 インドから北に向かった仏教文化とヘレニズム文化が融合し、ギリシャ・ローマの造形技法の影響を受けて、初めて人間的な姿の仏像が誕生したのです。 その後、2世紀には、マトゥラーでも仏像が作られ始め、ガンダーラ仏の西方色の強い様式に比して、純インド的な表現が行われました。 さらにマトゥラー仏は、5世紀にサールナートを中心として、均整のとれた美しい体躯と薄く等間隔に刻まれた衣のひだの表現を持ったインド仏像彫刻の完成形とも言うべき仏像様式に展開しました。 インドからの仏像の伝播は、南インドを経てスリランカ、さらには東南アジア諸国へと至る海上ルートと、インドから北へと伝わり、シルクロードを経由して東に伝わるルートとが大きな流れですが、さらに時代を経て、7世紀、後期密教の頃にはチベットにも伝えられました。 我が国へは、インドからシルクロードを経由するルートにより、中国・朝鮮半島を経て伝わりました。中国に仏教が伝わったのは、、2世紀ごろのことで、北魏の時代には大規模な仏寺や石窟寺院が造営され、唐の時代には仏像の表現に人体の理想美が追求・反映されました。 |
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東大寺 盧舎那仏坐像(大仏)
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2010/05/18(Tue)
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![]() 東大寺−盧舎那仏坐像 国宝。 銅像 像高14.98m 奈良時代 「奈良の大仏さま」として知られる東大寺の本尊。聖武天皇の発願によって造像され、752年に開眼しました。使用された銅は500トンにも及ぶと言われています。 盧舎那仏は太陽神の崇拝から生まれた如来、毘盧舎那如来で、仏の智慧の広大無辺なことを象徴しています。 鎌倉時代、室町時代の2度の戦火で当初の部分は少なくなりましたが、それでもなお高さ15メートルあまりの銅像の大仏は、総国分寺である東大寺の本尊、華厳世界の教主にふさわしい雄大さを備えています。 この像の形は、右手の第3・4指をわずかに曲げた施無畏印、左手は左膝上において掌を上向け、大仏座と呼ばれる蓮華座上に結跏趺坐しています。そして、台座蓮弁に毛彫りでそれぞれ釈迦如来とその世界を表し、全体で蓮華蔵世界を現出している点も特徴です。 脇侍として、如意輪観音・虚空蔵菩薩を従えています。 ![]() 東大寺−盧舎那仏坐像 国宝阿修羅など名作も豊富【仏像ワールド】 にほんブログ村 宗教美術 FC2 Blog Ranking 人気ブログランキング |
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三十三間堂(蓮華王院本堂) 千手観音坐像
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2010/04/16(Fri)
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![]() 三十三間堂(蓮華王院本堂)−千手観音坐像 国宝。堂内中央に安置する本尊像。像高335cm。湛慶晩年の建長6年(1254年)の作 京都三十三間堂の本尊(坐像)は、鎌倉時代の仏師湛慶の代表作であるとともに、十一面四十二臂像の典型作です。 左右、計1000体の等身観音立像に囲まれて、お堂中央に安置され「中尊・ちゅうそん」と呼びます。檜材の寄木造りで全体に漆箔が施されています。42手で「千手・せんじゅ」を表わす通例の像形で、鎌倉期の再建時に、仏師湛慶が同族の弟子を率いて完成させたものです。 84歳で亡くなる湛慶が、その2年前に完成した鎌倉後期を飾る代表的作品です。 42本の手のうち2本は胸前で合掌し、他の2本は腹前で組み合わせて宝鉢を持っています。他の38本の脇手にはそれぞれ法輪、錫杖、水瓶などさまざまな持物(じもつ)を持っています。彫像の場合は長年の間に持物が紛失したり、後世の補作に替わっている場合が多いです。 ![]() 三十三間堂(蓮華王院本堂)−千手観音坐像 にほんブログ村 宗教美術 FC2 Blog Ranking 人気ブログランキング |












